つの丸『みどりのマキバオー』
擬人化の極北
つの丸の漫画には動物がよく登場する。ここで問題になるのが、人間と動物とのコミュニケーションの取り方だ。あるいは、動物がどこまでしゃべるのか?という問題だ。
『みどりのマキバオー』では、最初の方は人間は人間だけで話し、動物は動物同士話すという感じで、人間と動物との間には厳然とコミュニケーションの壁があった。
しかし、物語が中盤に差し掛かるあたりでこの構造は大きく崩されることになる。すなわち、人間とマキバオーやチュウ兵衛親分をはじめとする動物とが全く前提条件なく対等に会話をし始めるのだ。
その様態は徹底している。人間だろうと動物だろうと普通に会話する。動物だから劣っているだとかそんな要素は一切なく、キャラの能力や性格の差異や有劣といったものは、そのキャラ自身に担保されるものになる。
つまり、つの丸はこの段階において、漫画上動物と人間とを最も区別せず会話させて描いていたに違いないのだ。ここまで徹底してある種の平等を実現した漫画は他にないだろう。昨今の「萌え文化」にあてられた軟派な擬人化とはまったく次元を異にする成果がここにはあった。確かにあった。
平等の限界
さて、この世の中、においてなんでもかんでも平等にするとおそらくどこかで歪みが出る。つの丸の漫画における擬人化についても同様のことが言えて、なんでもかんでも動物と人間とが平等に話すことが効果的とならない(あるいは面白いことにならない)場合がある。
カスケードの母親ヒロポンがカスケードを産むとき。ヒロポンは終止人間とは言葉を交わさず態度で意思を示した。こんなところは、むしろ人間と動物とが言語を解してコミュニケーションとらない方がいいんじゃないかと考えさせられる部分だ。
またつの丸の作品『サバイビー』では主人公の属するミツバチと敵のスズメバチとは一切言語的コミュニケーションが取れないという構成になっている。
別に漫画なんだから、異なる生き物が平等に会話したっておかしくない。しかしそれには限界というか、天井があるのだ。どこかに。実は『マキバオー』はその限界点へ到達してしまった漫画なのかもしれない。