私説『浦安鉄筋家族』の歴史3 元祖1巻〜元祖17巻
元祖1巻〜元祖17巻(2002〜2007)
無印時代は巻数31を数えて終了し、「元祖」時代へと突入する。今、元祖1巻の奥付を見ると平成14(2002)年とある。インターネットがすでに普及しつつあり、「萌え」という言葉が次第に時代の趨勢を捉えていく。浦安鉄筋家族のはじめのリニューアルは、こうした時期において積極的な設定変更や新キャラの追加で華々しく彩られる。しかし諸賢もすでにご存じの通りこのリニューアルの成果は捗捗しいものとはならなかった。「浦安」の変動と苦闘との時代を振り返っていこう。
リニューアルでの大きな変更点を確認しておこう。
・担任が春巻先生から奈々子先生へ
・校長が馬場、教頭が猪木に。それまでは、馬場は大巨人、猪木は国会議員。
・あかねちゃんの家が倒壊しマンション暮らしに。
・小鉄が海パン一丁で生活
・金子先生の登場
・街や教室が奇麗になって小人などがほとんど姿を見せなくなる
以下、ここから何点か論点をあげてその行く先を見ていこう
A担任の変更
無印の後半、春巻は一人で一話を任されうるほどキャラとしては独り立ちしていた。しかし春巻の獲得したキャラクターは、かなりのバカで、動きも緩慢で、外側からの刺激への反応が薄いものへと独自の進歩を遂げていた。それはそれで面白いのだけれど、たとえば小鉄やのり子たちへのリアクションが薄くなる。春巻は独り立ちしすぎたせいで、周囲との関係性が希薄になっていた。ここに常識人の奈々子先生が登場する。そうすることで、小鉄たちの学校での奇矯への適切な突っ込み役、あるいは驚き役として期待が持たれた。たとえば30固めで、小鉄があかねのテストをカンニングした場面を見てみよう。小鉄はバカ過ぎて、あかねちゃんの名前まで真似して書いてしまった。奈々子先生は元気に小鉄を殴りつけながら「もっと上手にカンニングしなさい」と突っ込む。これは、この段階での春巻では決してできない芸当で、奈々子先生が担わされた役割を端的に示す描写と言えるだろう。
そんな奈々子先生が預かる学級は元祖4巻で突然終焉を迎える。4巻の著者作品評によれば、奈々子先生が担任になってからクラスのムードがピリピリし、学級ネタが造りにくくなったという。春巻は他者に対して消極的で、実はそれが小鉄たちののびのびとしたギャグを誘引していたのだろう。しっかりものの奈々子先生では逆に動きが制限されたようだ。この後奈々子先生は、タイミング良く現れて、常識人としての突っ込みや驚き役をこなしていく。元の鞘に収まった春巻は、変わらない。
個人的な印象だが4巻での担任変更の頓挫は相当早急と感ずる。リニューアルの一つの要素が早くも失われた。
ところで奈々子先生は「掃除できない」属性を得たり、また、太ってきたり結婚できないことを気にしたりと、この時期に新たに獲得した性格も多い。期間は短かったけれども、奈々子先生が担任でなければ生まれなかった新鮮な話もある。元祖1〜4巻ってのはすべてのシリーズを見てもかなり異質な時期だが、それゆえに魅力がある。
余談がある。奈々子先生は早々に担任の座を春巻に返還したが、奈々子先生のエッセンスは、おそらく桜井のりお『みつどもえ』の海江田先生に引き継がれている。生徒に厳しいしっかりとした美人の先生なんだけど、年を気にしたりドジなところがあり、二人はどこか重なるところがある。スピンオフ含めて、この時期の奈々子先生は意外に後世に影響を与えているのだ。
B校長が馬場、教頭が猪木に。
リニューアル一番の問題とも言える設定変更だ。すでに大巨人や国会議員として親しまれていたキャラクターを、校長と教頭とに設定を改めた(のちに教頭は国会議員の兄弟という設定になる)。理由は想像するほかない。あるいは、実在の人物をかなり色モノとして描いていたから、失礼の無いように変更したのかもしれない。この設定変更は、作者も元祖1巻作品評で述べている通り読者に混乱をきたした。当時高校生の私も正直よく解らなかった記憶がある。こうして校長・教頭の「アングル」は早々に姿を消す。早く国会議員の曽祖父が5巻に登場。そして国会議員自身も7巻において復帰。旧制に復した。
C金子先生の登場
金子先生の担う笑いは「小鉄軍団への外部からの視線」と位置づけられるだろう。小鉄軍団に入りたい、小鉄と仲良くなりたい金子先生。でも挙措は奇妙でときに気持ちが悪く、あの小鉄をしてドン引きせしめる。元気な小鉄を引かせるくらいのキャラクターとして登場した金子先生は、作者肝入りのキャラクターのようだ。初登場の際の作品評で「じっくりと育てていきたい」と作者は語った。その通り金子先生は幾度も登場のチャンスを得て、作品世界に定着していく。金子先生がちょっと気持ち悪すぎて失敗と評される作品も多いが、著者はのちに元祖の時期を振り返り「金子先生に何度も救われた」と述懐する。
さて、金子先生は小鉄軍団に外側から新機軸をもたらして笑いに変えるキャラクターだ。この小鉄軍団への外部からの視線という構成は、この後も作品の中で幾度か提起された。すなわち金子先生が起こした論点は、たとえば安藤and安藤を経て、NYAへと引き継がれるだろう。詳しくは追々語ろうと思うけれども、元気の中心、教室の中心、ギャグの中心の小鉄軍団の外部からの視線がもたらす笑いは、作品の長い連載を支える要素となっているだろう。金子先生はその端緒として、この時期作品に登場してきた。
さてこのように、リニューアルの後に幾ばくもなくして、てこ入れされた要素が元に戻ったり、あるいはなかったことにされた。大局的に見れば、リニューアルを挟む無印20巻以降と元祖15巻頃までは雰囲気は非常に似ている。この数年間はわりときれいな浦安の町でギャグが展開されていくが、その内実では様々なエネルギー切れが生じていた。作者のあとがき作品評を参考に考えてみよう。
まず新キャラの定着が少ない。連載初期に顕著で無印時代に一貫したことがらは、とにかくパンチのあるキャラクターを登場させ、小鉄軍団と掛け合わせるという展開を講じたことだ。鳥野一家もそうだし、花園一家もそう。元祖時代において、15巻ほどまでにはそうした新キャラがいくつか投入されるものの、いずれも不完全燃焼に終わり定着に至らない。作者自身をして元祖以降新キャラが育たないと書かしめている(元祖9巻作品評)。
もう一点注目するべき点は、従来のキャラクターたちすらネタ切れを起こしていることだ。ギャグ漫画のキャラクターは必ず金属疲労のような現象を起こす。いつまでも当初の勢いのままではいられない。顕著なのは春巻と花丸木で、作者は元祖7巻あとがきにおいて、この二人を主軸としたお話が作れない、と述べている。こうした停滞現象とも言える状況な何故に生じたのだろうか。まず、リニューアル前後、アニメ化の辺りから始まる作品世界のクリーンアップが要因としてあげられる。浦安は、爆発的なキャラクターにより牽引されてきた。小鉄軍団もそうだし、毎回のゲストキャラもそう。膨大な量のうんこを出したり、巨象や猛獣を飼ったり、浣腸やゲロ、暴力などゲストキャラは勢いよく作品世界を彩った。無印後半からの作品世界では、そうした雰囲気はやや後景に退く。その理由は、先に推測した通りキャラの損耗や、アニメ化による浄化に求められるだろう。
こうした事情を踏まえた上で1度目のリニューアルは目論まれたのだろう。だがこれも見てきた通り失敗に終わりもとにもどる。元に戻る、と書いたが、すでに元には戻れない。作品当初のダイナミズムのままではいられない。
その結果、元祖の10巻前後からは大変厳しい局面が続いたことがうかがえる。あとがきに苦しみの跡が垣間見えるようになるのは、例えば8巻のあたりだ。そして12巻である種の底を尽くような状態になる。作品としての経年劣化に対する新機軸を充分に打ち出せない状況が続く。
作品全体に色濃く息切れの雰囲気が漂う。18巻のあとがきには、作者が泥酔してカラオケショップで15年も連載していたらやることなんてもう何もない! と絶叫していたことが書かれている。長女が考えたオチで掲載したりもしている。かなり追い詰められていることはあとがきからでも充分に察し売る。
ところが浜岡はストラグルを続ける。作者は新キャラのみならず、過去のゲストキャラ、さらには小鉄軍団のキャラクターの掘り下げを行なってこの事態に対処した。激しいギャグではないものの、大鉄がタバコをやたら吸う話、仁が色々な低額アルバイトをこなして家賃を払いにいく話、ノブはモブっぽいけど小鉄軍団に順応しており高い洞察力を持って生活を送っている話など、現在の連載まで続くようなキャラクターの掘り下げは、この時期に育まれた。