ディオゲネスの宴

漫画の紹介と、感想を書いていきます。 『BLAME!』全話紹介&解説を書き終え、現在は浦安鉄筋家族について書いてます。桜井のりおは神。

本当に伏線は回収しなくてはならないの?(浦沢直樹『MONSTER』)

浦沢直樹MONSTER』。この漫画は浦澤のキャリアの中で、最近の『21世紀少年』『BILLY BAT』に連なるミステリ漫画路線の起点になった漫画だ。

 

この辺りから浦沢を評して「導入は面白いが風呂敷の畳み方がよろしくない」だとか「5巻くらいまで面白い」だとか言われるようになる。確かに、長編の後半部分はダレてしまったり物語中で提示された謎がよくわからないまま「解決」ということにしてしまう傾向にある。

Monster (1) (ビッグコミックス)

Monster (1) (ビッグコミックス)

 
Monster (18) (ビッグコミックス)

Monster (18) (ビッグコミックス)

 

 

『MONSTER』に関して言えば、何度かあるヨハンの心情の変化と、その原因となるテンマやニナの行動との関連がわかりにくいのだ。ヨハンの考えはほとんどの場合「ミステリ」として主人公側(読者側)に隠されるため、なんでこうなるのか?が地味ーにわからない場合が多い。

 

こうした謎は『MONSTER』では最後の方でもなかなか解決しない。最後双子の母親が、ヨハンとニナどちらを選択したのか?という問題も、謎のまま物語は終わる。

 

さて、「謎」の解決を引き延ばしたりあるいは放擲したりする構造はあるわけだが、これってほんとうにダメなことなのだろうか。提示された謎や伏線にきっちり回答をもたらし、作品の整合性を持たせることはどこまで重要なのだろうか。もしかしたら我々は、物語はしっかりと整合性がなければダメだ、という先入主観にとらわれ過ぎてはいないだろうか?

 

浦沢の作品は、本当に読んでいてドキドキする。ヨハンはどう行動するのか?他のキャラはどう動くのか?敵対勢力からの襲撃や拷問はどういった物語上の展開をもたらすのか?その時その時の物語の動きに引き込まれる。

 

つまりだ。浦沢の漫画はその物語が動いている、という部分が重要なのだ。これは言いかえれば「謎」へのアプローチこそがこの作品の神髄だということだ。物語の着地点、すなわち「謎」の解決にはあまり重きを置かずとも良いのではないか。

 

我々は手品のネタを知りたがるし、昨今の節操のないTV番組などではわざわざ手品のネタばらしを放映したりする。これはある部分では行きすぎたあり方だろう。手品の不思議さや面白さに、ただ眼を瞠り驚くという営為が前提としてあるはずだ。これを我々は蔑ろにしがちだ。なぜ私たちは「謎」や「仕組み」「仕掛け」をただ楽しまずに「あの手品のタネを知りたい」とか「プロレスはガチじゃないんでしょ?」というような発想をしてしまうのか。

 

浦沢の漫画は、その時その時のダイナミズムこそを楽しむべきで、着地の整合性などに煩わされていると本当に面白い部分に触れることができなくなってしまう。物語の終わりは一瞬だ。そこまでキャラは、「謎」に対して動き続ける。そうしたことを考えると物語の一瞬一瞬の動きについてもっと重視しても良いのではないかと思う。

 

浦沢の漫画はそうした部分にグッとくるのだ。『21世紀少年』『BILLY BAT』にかけて、この「謎」の提示に関してどんどんハッタリを効かせる、「謎かけのインフレ化」が起こっている。これがどう解決されるかという部分に注目するより、その「謎」とそこへのアプローチを楽しむべきなのだ。

 

そして、この「その時その時の動きが面白い」という漫画の面白さの在り方は、「連載」に非常によく馴染む。日々紡がれる雑誌掲載分のそれぞれが動いていて面白いのだ。喫茶店やコンビニで、ふと一話分を目にする。その部分だけで面白い。物語が常に面白く動いており、ここでは物語全体の整合性は重視されない。漫画のほとんどが連載という形をとっている昨今では、こうしたスタイルの面白さは非常に強力だ。これは多分『BLEACH』なんかにも言えることだ。

 

動き続けることで生まれる面白さ。やっぱり浦沢直樹は面白い。