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ディオゲネスの宴

漫画の紹介と、感想を書いていきます。

パープル式部

漫画
ディオゲネスの宴は『パープル式部』を応援しています。

この漫画はヤングジャンプで不定期に掲載される漫画だ。流行の言葉や、ネット上の流行ジャーゴンをまぶしながら、結婚コンサルタントのパープル式部が29歳独身の青木ちゃんにからむ、という謎のコンセプトを誇示するギャグ漫画だ。

 

この漫画は、奇妙すぎる掲載形態をとる。基本的には代原漫画で、ヤングジャンプの末尾を怪しく彩る。

 

でだ。代原漫画なので、一話あたりのページ数が色々になるのはまだわかる。だがこの前4ページの回があったんだ。これは冷静に考えてちょっとおかしい。4ページの代原ってもとはなんの漫画(あるいは宣伝広告?)だったのだろうか?それくらいならページ数減らしてもいいのではないか?なぜ編集部は4ページに『パープル式部』をねじ込んだのか?なぜパープル式部は4ページの連載に対応できたのか?そしてその回は漫画が載っているのに巻末の目次に式部の項目が立っていなかった。折角載るのにその仕打ちはないのではないか?

 

そんな感じで現在ヤングジャンプのUMA的存在として、その筋の数寄物ハンターによって毎週出現を楽しみにされている漫画なのだ。

 

ディオゲネスの宴は『パープル式部』を応援しています。

ここで集英社に訴えたい。もちろん、『パープル式部』の単行本は『テラフォーマーズ』みたいには売れないだろう。いやむしろ全然売れないだろう。だがそれがどうしたというのだ。集英社は別に儲かっているのだろう。パープル式部の単行本を出したせいで株価とかが暴落して倒産するとか、そういうのはたぶん大丈夫だろう。だったら出すのだ。パープル式部の単行本を。

 

単行本化されるか否かはその漫画にとってかなり重要だ。『大相撲刑事』があそこまでクソでもいまだに語られるのは、それが単行本になっているからだ。一方で我々は、『現代怪奇絵巻』の悲劇ともいえる非単行本化を経験してきている。

 

真面目な話、博物館学ではないが「モノとして残ること」は極めて重要だ。モノとして残ることで一つの文化、歴史がそこにあったと認識しやすくなる。ぐっと。国立国会図書館に『パープル式部』が単体で残るのだ。そして社会にも。

 

『パープル式部』は今(代原がだいぶ掲載されてきて)そうした瀬戸際、当落線上で戦っている。

 

源氏物語』の時代から我々の時代をうらなうことが不可能なように、我々は1000年の後の世のイデオロギーになんらの予想も立てられない。もう資本主義とかどうでもいい。資本主義が今後永続するかはわからない。売れるか売れないかは文化には関係ない。だったればこそ、『パープル式部』は単行本化されるべきなのだ。集英社よ、金を惜しむな文化をこそ惜しめ。義侠心をこそ惜しめ。『パープル式部』を世に残せ。げに。