読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ディオゲネスの宴

漫画の紹介と、感想を書いていきます。

本当は『かいけつゾロリ』の感想を書きたい

ブログを始めた目的は、普段なんのことなく読んでそのままのマンガについて、なにか書きのこせることはないか、と挑戦するためだった。幾度かブログを変えてチャレンジしているけれども、思い入れの強い漫画ほど、言葉で言い表すことが難しい。尾玉なみえとか施川ユウキとかだ。

 

かいけつゾロリ』を読むのは恥ずかしい

さて『かいけつゾロリ』。この巨大な作品に関しては全然そんな思い入れはない。感想を書いてみたい気分がいっぱいだ。だが、尾玉や施川の作品とはやや趣を異にする理由で、感想が書きにくい。それはこれが児童書だからだ。

 

ブログを書くためには作品を一次資料としてじっくり読むことが肝要だ。だが大人の私が図書館で『かいけつゾロリ』を味読していたら周りの人はどう思うだろうか。私は普段よく図書館を利用していて、司書さんに「レファレンス」をお願いすることもある。恥ずかしいのだ。夜図書館に行って毎日『かいけつゾロリ』読んでいる大人がいたら変だ多分。でも本当は「ゾロリってどれから読めばいいんですかね?」とか「おすすめあります?」とか聞きたい。

 

それとこれはあまりいい言い訳ではないけれども、時間がない。『かいけつゾロリ』は巨編すぎるのだ。

 

ゾロリ』の役割

ただ重要なことは、巨編であるのにあまりその重要性が人口に膾炙していない点だ。

 

おそらく子供たちは、『かいけつゾロリ』を通じていくつかの初めての体験をする。例えばパロディ。例えば東西の妖怪に関する知識。また例えば、もしかしたらイノシシを見たことない子供だっているかもしれない。そういう子供に、これがイノシシだ、という概念を与える。私はイノシシを一度も見たことないが、イノシシに会えばそれがイノシシだと解る。いつそうなったのかわからないが、もしかしたらこれは「イシシ」と「ノシシ」のおかげかもしれない。

 

これは真の意味で教育だ。いわゆる「言語ゲーム」への参加だ。子供たちは知らず知らずのうちにモノの概念化を進めることができる。

 

そしてもう一つ。『かいけつゾロリ』はマンガを読むという行為への入門篇としても有効だ。よく内田樹なんかが「マンガを読むためにはリテラシーが必要だ」と訴える。これに関する基礎的な涵養を『かいけつゾロリ』は子供たちへと施しうる。

 

この辺りのことを考えながら『かいけつゾロリ』を読みたい…のだが図書館で読むのは恥ずかしい。ただ図書館の『かいけつゾロリ』の配架の気合の入り方は尋常ではないので、図書館で読むのがベストだ。子供たちの邪魔をしないようにこっそり読んでみようと思う。

 

 

かいけつゾロリのドラゴンたいじ (1) (かいけつゾロリシリーズ  ポプラ社の小さな童話)

かいけつゾロリのドラゴンたいじ (1) (かいけつゾロリシリーズ ポプラ社の小さな童話)