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ディオゲネスの宴

漫画の紹介と、感想を書いていきます。

震災後を『COPPELION』(コッペリオン)と歩む

おいおいいつの間にかアニメが始まってるじゃねーか。私は漫画しか見てないが。私たちの時代経験として読んでおかねばらなない漫画だ。

 

豪華なSF的ガジェット、女の子ガジェット

舞台は放射能で汚染された近未来の東京。お台場の原発がメルトダウンし、20年が経過して東京は廃都になっている。主人公三人は、遺伝子操作により耐放射能の能力を得、さらに色々特殊能力を施された女子高生だ。こうした能力者を、作中では「コッペリオン」と読んでいる。東京に残った(生活している)生存者を救出するために彼女たちは東京へやってきたわけだが、そこで様々な陰謀に巻き込まれたり、原発事故の当事者たちの葛藤に触れることになる。遺伝子操作で生まれた自分たちのアイデンティティをめぐって煩悶しつつも、様々な障害を乗り越えて任務を遂行していく漫画なわけだ。

 

COPPELION(1) (ヤンマガKCスペシャル)

COPPELION(1) (ヤンマガKCスペシャル)

 
COPPELION(19) (ヤンマガKCスペシャル)

COPPELION(19) (ヤンマガKCスペシャル)

 

 

2008年から連載されたこの漫画は、ストーリーを見ればわかる通り震災によって大きな影響を受けた漫画だ。それはアニメにおける描写にも隠然と影響を及ぼしているようだが、本来、震災がなかったならば様々な多彩なSF的ガジェットのもとで今風の可愛い女の子を活発に動かす、豪勢な漫画に過ぎなかった。

 

例えば廃都となった東京は、どこか『AKIRA』を思い起こさせる。こうした舞台に対して、敵として登場する二年生コッペリオンの真奈ちゃん(かわいい)は、金田よろしく超能力で物を動かしたり破壊したりする能力を持っている。非常に文脈的な登場をしてくるわけだ。エスパー少女の真奈ちゃんが廃墟でガシガシ能力を使うことは、実は漫画界における伝統的営為といえるのだ。

 

COPPELION(9) (ヤンマガKCスペシャル)

COPPELION(9) (ヤンマガKCスペシャル)

 

 ↑円谷真奈:かわいい

AKIRA(1) (KCデラックス 11)

AKIRA(1) (KCデラックス 11)

 

 

その他、この作品が持つ東京の雰囲気は、『風の谷のナウシカ』的でもある。「ナウシカ」で描かれた腐海はマスクなしでは「人間」は生きられない。放射能で汚染された本作の東京でも、普通の人間は防護服なしでは生きられない。20年捨て置かれた東京は自然が広がりつつある。東京に腐海のイメージを重ねることもできるのだ。

 

風の谷のナウシカ 1 (アニメージュコミックスワイド判)

風の谷のナウシカ 1 (アニメージュコミックスワイド判)

 

 

そして作中ではロボや電車や兵器がせわしなく登場する。これらのガジェットは、それぞれに多くのマニアがいる分野だ。つまり、有名どころのガジェットを豪勢にぶっこんでくるというわけだ。そして全体として放射能へ対する恐怖と好奇心(冷戦下に多く作られた「放射能で巨大化」的な放射能フィクション)とを下支えにして本作は成り立っている。

放射能X [DVD]

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こうした舞台で、女の子が能力バトルしたりギリギリの救出活動を行なう。このダイナミズムも非常に軽快で、例えば飛行戦艦の上を走り回って大活劇を繰り広げたり、車や戦車に乗って猛スピードで逃げたりする。これもどこかで私たちが親しんできたような動きで、個人的には飛行戦艦上の動きから『未来少年コナン』を想起した。

 

未来少年コナン Blu-rayボックス

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そしてストーリー展開にはなんとなーく漫画『彼岸島』っぽい「キッチュでいかがわしい面白さ」があって、そうしたところもたまらなく面白い漫画なのだ。『コッペリオン』は『彼岸島』の妹分ともいえると思う。

  

彼岸島 最後の47日間(10) (ヤングマガジンコミックス)

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震災後に漫画の地平を歩く

さて前置きが長くなったが、震災は、本作が持つこうした「SF的表現、漫画的表現のレンジの広さ」を確実に狭めることになった。端的にいえば、放射能を好奇心をひきたてるガジェットとして使用することがかなり困難になった。最新刊(19巻)ではこうした雰囲気はやや復調の気配があるが、一時期は能力バトルものに特化したような時期が確かに存在した。

 

SFでも漫画でもどういった表現でもいいのだが、これらのものは本来は自由なものだ。自由な発想のもとに描かれるものだ。しかし原発事故という現実が、『AKIRA』や『ナウシカ』以来の「ディストピアもの」に、明らかに暗い影を落としている。創作における一つの文化ともいえる振る舞いが、現実の事象からなんとなーくしづらくなってしまった。「真奈ちゃんの中性子ペロペロ」(真奈ちゃんを含む二年生は遺伝子操作のバグで普通に人間にとって致命的な中性子を身体から放出します)とかそんなことがちょっと気軽に言えない、そんな時代になってしまったのだ。現実がSFを侵略する、現実が創作の世界を狭める。そんなくだらない現実が今目の前にある。『コッペリオン』は、今まさにその渦中にあり作者の井上智徳氏はこれに対し闘争している。今後もこの漫画を読み続けて色々考えて行きたいものだ。

 

漫画のことなんて実際の生活に比すれば二の次なのだが、一つの時代経験を契機に、創作への発想の在り方、人間の思想・思考の在り方もきっと地味に目に見えず変わっていくのだろう。こんなことはよくよく考えれば当たり前のことなのだが、実際それを体験するとなんとも言いようのない動揺を覚える。そんな昨今だ。