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ディオゲネスの宴

漫画の紹介と、感想を書いていきます。

人間昆虫記

手塚治虫といえばこれ。連載時期は1970年から1971年。手塚のキャリアでいえば人気がやや低迷していた時代であるという。

 

十村十枝子という主人公の女性は、他人の能力を完全に模倣できる。あまつさえ模倣した人物を退け、なり変ってしまう。だから彼女は有望な役者であるし、直木賞作家でもあり、その他たくさんの芸術の第一人者として現れる。模倣された人物(たいていの場合、十枝子とは色恋沙汰を経る)は悲惨な最期をとげる。こうした模倣の完璧超人と、それに振り回される男たちの悲哀がストーリーの基軸になっている。

人間昆虫記 (手塚治虫文庫全集 BT 199)

人間昆虫記 (手塚治虫文庫全集 BT 199)

 

 

先に言いたいことを言ってしまうと、この作品は枝葉の抽象的描写がすごい。

 

例えば、十枝子の模倣と乗っ取りを蝶の羽化にたとえるシーン。煌びやかに細やかに、物語のキャラクターの解説を差し込む。

 

またアナーキストの殺し屋、蟻川平八の登場シーンもすごい。いきなり黒人の顔が何人も連なり、黒人霊歌なのかジャズなのかを熱唱している。次にサックスを吹く黒人、ドラムをたたく黒人が描かれる。顔は黒人の特徴とされるものが強調的に描かれる。これらは、一般的な手塚キャラとはやや趣を異にして写実的な絵柄だ。そこから、もろ手塚キャラの蟻川が出現する。蟻川と黒人は、多分全然関係ない。蟻川はジャズバーにいるから黒人がジャズを歌っているのだが、でも黒人と蟻川は直接関係ない。でも黒人をここにぶっこんでくる。2ページも使って。

 

その他、なんだかよくわからんが頭が延びるコマがあったり、「ベタ」が印象的に使われたり、ストーリーの傍らで妙にとんがった表現が目立つ。

 

これらの、ストーリーを必ずしも進めるわけではないが、抽象的で前衛的な挿し込みが本作を怪しく彩っている。手塚の低迷期だと言われている時期の連載ということもあって、この挑戦的な描写はいやに、いやに印象に残る。

 

そして、こうしたストーリーの具体的な進展を示さないコマ(すなわち、抽象的表現で心性や概念や音楽や芸術を表現して、贅沢にも本編にあまり影響させない、挿し込み表現)は、現代の漫画ではあまり用いられないように感じる。ひとり市川春子あたりが、この辺りの表現を継承しているに過ぎない。この挿し込み描写の可能性は、もっと留意されても良いのではないだろうか。

25時のバカンス 市川春子作品集(2) (アフタヌーンKC)

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